ドーシャの前に五元素

(前略)したがって、五元素の基本概論は、アーユルヴェーダの診断と治療法の基礎となり、医師が身体と心の病気をうまく引き出して、治療するための最も価値のある概論となりました。(受講テキストより)

私は、幸運な事にこの仕事のおかげで、もうそれは何度も何度も五元素を繰り返し、学ぶ事ができました。

 

だからこそ、の疑問なのですが、巷のアーユルヴェーダのコースなんかで多いのは、五元素をそこそこに、「ドーシャ」をまるで理論の中心かのように取り上げる事があります。

 

またタイプ別と称して、まるで占いか何かのように、ドーシャタイプを取り上げて、私はヴァータタイプだからこうなのね、と納得したりします。

 

占いが悪いわけではありません。アーユルヴェーダは占いじゃないってことを言いたいだけです。教える人は勇気をもって相手の期待をいい意味で裏切ってあげないといけません。

 

正直ここに時間がかかると、だんだん勉強するのが嫌になってきます。わからない事が続くのは誰でも嫌です。でも、近道はないと思っています。

 

というのも、五元素なくして、ドーシャを理解するのは、その後勉強する消化や、代謝、疾患が起こる原因を勉強する時に混乱するからです。

 

もし、どこかで、今アーユルヴェーダに興味があって、もしくは、今いろんな事をご存知の方で、だいぶ過去にちょっとだけ五元素をやった後、しばらくご無沙汰の方がいたら、いろんな勉強をされていても、ふと気が付いた時に五元素の概論を振り返って、昔の教科書をひっぱりだしてみてください。

 

まだ、何も知らない方は、五元素というのは一番大事なんだ、という事と、今は完璧にわかろうとすると、時間がかかって迷走してしまうので、わからなくても次に進んでください。でも必ず戻ってきてください(なんとややこしいお願い)。

 

こうして書くと、思うのですが、なんと私達の体はシンプルでわかりやすいのでしょう。体や心を形成する最小単位はたった5つの元素の組み合わせなんて。

 

でも、5元素ではないもの、がこの世に存在します。(ちょっと語弊はありますが)自然のものではないもの、それは「人間が作り出したもの」です。

 

材料は5元素ですが、自然界に存在しないということは、なんらかの理由があるのです。でも人間は頭がいいから作る事を発見してしまいました。

 

自然界にいる動物で、食べ物に何を添加して(加工して)食べるのは人間だけです。(洗ったり、混ぜたり、はいるかもしれませんが)それは知恵のある動物だからこそできたわけですが、便利さを追求するあまり、あまりにも自然とかけ離れた生活になってしまったのです。

 

インドに来ると、日本がいかに恵まれているかわかります。その逆で、いかに自然に反している生活が当たり前になってしまったか、という事がわかります。そして麻痺している事に気づくのです。この気づきは、一度体験するとずっと思い出す事ができるでしょう。